石原莞爾が掲げた「五族協和」

「皇民化」という表現には、おぞましく邪悪なイメージが憑いていますが、本来は、日本人も朝鮮人も、皇国臣民として対等に扱うという国策でした。石原莞爾が掲げた「五族協和」は日本の人種平等の理想が、たんなるプロパガンダではなく、実際に実行された政策として、歴史に輝かしい実績を残しているのです。
「皇民化」こそ、人種平等の理念の実行であったことを、世界の歴史家は、新たに認識する必要があります。「朝鮮語の使用を禁じ、日本語を強要した」というのも、全く史実に反しています。言語を奪ったというのは、全くの嘘で、史実は、朝鮮人にハングルの教育を施したのが、日本の統治時代でした。
いま多くの韓国人がハングルを身につけているのは、言ってみれば、「皇民化」教育のおかげなのです。ただ、ハングルのみでは、「皇国臣民」として、ひとつになることはできない。そこで、日本語教育も行った次第です。話は逸れますが、中国は、チベットに軍事侵攻し、チベットを侵略しました。国家元首ダライ・ラマ法王は、インドに亡命しました。
いま、四川省とかチベット自治区と呼ばれる地帯が、かつてのチベット王国のあった地です。中国がチベットで行ったのは、まさに、エスニック・クレンジングだったのです。チベット民族は、広大な中国全土にバラバラに強制移住させられ、チベットには大量に漢民族が流入した。学校では、中国語で授業が行われたために、チベット人は言語を奪われた。
若いチベット人は、中国語でしか意思疎通ができないのです。チベット語で、読み書き聞き話すことができないのです。当然に、歴史も失われていきます。僧侶でさえも、チベット語のお経が読めなくなっています。日本の朝鮮統治は、全く逆です。中国のチベット侵攻と異なり、日本の韓国併合では、ハングルを朝鮮人に教育したのです。
このため、それまで低かった朝鮮人の識字率が大幅に向上したのです。「創氏改名」も、「日本の姓と名を強要した」のではなく、韓国人(朝鮮人)が、自ら積極的に、日本式の姓と名を、使いたいと届け出たというのが史実です。
「創氏」というのは、もともと朝鮮人が使っていた「本貫と姓はそのままに、新たに家族名として、「氏」を創ることができる制度です。一方、「改名」というのは、「従来の氏名を任意に変更できる」という制度を意味します。
呉善花女史によると、「法令では、氏名とあるだけで、『日本式の氏名にせよ』という規定は一切なく、次の三点に従って施行された」と言います。
一、創氏は、六カ月間を期限とする届け出制。届け出なかった者は、従来の朝鮮式の姓が、そのまま氏として設定される。
二、創氏をしても、従来の姓がなくなることはなく、氏の設定後も、元来の姓及び本貫は、そのまま戸籍に残される。
三、改名は、期限なく、いつしてもよい。
当時、朝鮮人は強制されたのではなく、自ら望んで日本人のような氏を使ったのです。そうすると、中国人に馬鹿にされたり、愚弄されることを避けられたからでした。また、日本人であるかのような氏のほうが、商売や様々な場面で得をしたからです。強制されたというのは、全くのでたらめなのです。